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「新国立劇場の開館十年を考える」(三十四)    ≪舞台芸術環境を悪化させる「新聞社制定賞」について≫

 「新国立劇場では、次期芸術監督の尾高忠明自身が納得いかぬままという不可解な交代劇。インテンダント(総裁)不在のまま官僚主導で動くという、歌劇場として世界的にも極めて特殊な運営形態が招いた事態」、「健康上の理由もあり、今期限りで退任する若杉弘は、日本のオペラの幕開けともいえる山田耕筰の「黒船」と、戦争の不条理を徹底して描くツィンマーマンの「軍人たち」を名舞台へと導き、強いメッセージを日本の観客に示してみせた。次期監督の尾高は、音楽界全体での人脈や、人心掌握の力を買われての起用。彼らを始め、音楽の世界に生きる人々への敬意こそを礎にした劇場へと、同劇場は来年こそ生まれ変わってほしい。」
 以上は、旧臘17日の朝日新聞(朝刊)に掲載された「回顧2008クラシック」の、新国立劇場についての言及の抜粋である。
 執筆した音楽担当記者の「劇場の再生」の願いは、もっぱら「歌劇場」としてのものだろう。このブログ『提言と諫言』で五年に亘って新国立劇場について取り上げているのも、この新国立劇場の再生についての祈りのようなものがあるからだ。それは現状の、「オペラ」も「演劇」も「バレエ」も「ダンス」もと、弁えも節操もなく何でも上演する、馬鹿に図体の大きなあっぱれな「多目的文化ホール」と化した「文化施設」への祈りではない。この国の行政が最も得意とする「満遍なく公平に」の不思議なバランス感覚と、キャリア官僚の天下り先、或いはノンキャリア組の再就職先を確保しようという思惑或いは強い意思が何よりも優先されて誕生した「舞台芸術の殿堂」は、ただ願ってもただ祈っても再生するというものではない。それは、心ある者の、その立場、能力に従っての行動によって、はじめて再生に向かうのだろう。では、新国立劇場の再生を願う朝日新聞の「回顧」執筆音楽記者に出来ることは何か。それは、自社が制定する「朝日舞台芸術賞」の廃止を働き掛けることである。なぜか。
 朝日新聞、読売新聞は、演劇担当記者、また記者OBを含む演劇評論家、演劇ライターなどを自社制定賞の推薦・選考委員に起用、新聞社自体は選考対象の演劇公演のチケットの手配もぜず、上演団体に彼らに代わってでもチケット代を支払うことで演劇を支援するという意識も持ち合わせず、反対に彼らの無償観劇(只見)に便乗、それを当然視すらして、彼らをしてチケット強要の常習者にしている。演劇関連団体、上演団体、劇場の側にも、表現者としての矜持など端から怪しく、観察・批評者としての彼らと、緊張した、一線を画すような姿勢を保持することなど思いもつかず、彼らと懇ろになることで、文化庁や地方行政団体による補助金(税金)にありつこう、権威があるとも思えない新聞社制定賞でも貰えるものなら貰っておこうとの卑しさ募って、彼らを組織の役員・アドバイザーなどに起用するなどの迎合・癒着を恒常化させている。この新聞劇評家、新聞記者OBの幾たりかは業界ボス化しているといわれる昨今の風潮は、この朝日新聞、読売新聞の制定賞が作り上げたものと言ってもよい。文部科学省が取り扱う「芸術文化」とりわけ「舞台芸術」への助成策は、以前に関西芸術文化協会によるオペラ制作に於ける助成金の不正処理、不正受給についての新聞報道で初めて一般に知られたが、それは業界では「氷山の一角」とも言われたほど、助成金被交付団体の不正受給は恒常化している。一億三千万人を対象に一人当たり一万二千円程度の「定額給付金」に、「税金のばらまき」「効果が薄い」と批判する朝日、読売が、たかが数百か数千の舞台芸術関係者を対象に、芸術支援というよりは彼らの生活援助に化け、一人当たり数百万円にもなる、それも不正受給が恒常化しているばらまき文化施策に、全く関心を寄せないのはなぜだろう。それは、文化担当の新聞記者が、業界関係者になってしまったからであり、新聞社自体が、その制定賞を設けていることで、業界と距離を置けなくなっているからである。(余談だが、以前にも書いたが、当時の読売編集局幹部たちに、「読売演劇大賞を続けるならば、せめて選考委員のチケット代を自社で負担するくらいの配慮をすべきだろう」と助言したが、只見只食い只呑みの日常にいる彼らには、「自腹を切る」ことの意味など伝わらなかったのだろう。)
 十数年前のことだが、文化庁による助成金制度「アーツプラン」の説明会の折、日本劇団協議会の常務理事のひとりが「向こう(文化庁)が金を呉れると言うんだから、貰っておこうじゃないか」と発言、壇上にいた今は亡き千田是也会長始め同席した演劇関係者の誰ひとり、その発言者を批判し、あるいは制することなく、かえって同調の空気すらが広がっていて、多勢に無勢、席が離れてもいたので、その常務理事を叱責することは出来なかった。税金によって自分たちの活動が支援されることについての感謝の念、謙虚な姿勢が無く、「向こうが呉れると言うから貰っておこう」との卑しい姿勢が、不正受給にも繋がっている。その姿勢を土台にした制作作品を、演出家を、俳優を顕彰しようとの新聞社制定賞は、「向こう(新聞社)が呉れると言うんだから、貰っておこうじゃないか」程度の、有難味の薄い、業界内向けの筋の悪い賞である。
 心ある朝日新聞音楽担当記者に、「朝日舞台芸術賞」の廃止の働きかけを勧める所以である。