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推奨の本
≪GOLDONI/2009年10月≫

『輪のある世界』 西脇順三郎著
青蛙房 1958年
 

 文学は内在的存在である。言語で我々の思考を表現しているものにすぎない。文学作品は思考のカタマリにすぎない。その思考は人間の意識に関するものである。文学は全然思考である以上は文学は精神界に属するものである。
 文学作品は言語から来る音を除けば思考のカタマリにすぎないとみることは、丁度彫刻を単に石としてみることに等しくまた絵画をペイントと線でみることに等しいが、しかしその考えは最も根本的な見方である。物質的な見方である。文学作品をつくるということは思考をつくることである。しかし思考が表現している乃至関係している世界がその文学作品の表現している世界であって、換言すればそれが文学作品の内容である。ロダンの彫刻作品の内容乃至表現対象は石が表しているものであって石ではない。
 2
 ジャン・コクトオ氏のエピグラムとしての文学、美術、音楽等に関する批評の方法を<間接的批評>と自らいっているが利巧なことをいうものだ。文芸批評を種にして彼はいつも新しい思考をつくろうとすることにすぎない。二十世紀にある一つの文学のジャンルとして大切なものと思う。この点から彼の批評は創作的精神からである。
 3
 新しい思考をつくるということは創作の根本的なものである。創作ということは新しいものをつくるということである。新しい人間の関係をつくることである。新しい心理上の関係を発見することである。科学者も創作をすることになる。近来の文学は科学的になったということはこの意味の創作的精神があるからだ。単に人間生活をそのまま表そうとするものは創作ではない。人間生活に対して新しい心理上の関係をつくるときに、初めてそれが創作である。
 創作という言葉は極めていいきになったセンティメンタルなものではあるが、まあその言葉は別として、創作するということは新しいものをつくることであるということが、その根本の意味である。 
 4
 伝統を守る精神と創作の精神とは相反するものとしているが、必ずしもそうでない。単に伝統を破るということは直ぐに創作的精神でない。こわれた茶碗と完全な茶碗との区別が伝統と創作の区別でない。
 創作は伝統と離れているものであるにすぎなく伝統に反するものでない。換言すれば伝統と関係のないものをつくるということにすぎない。伝統ということは与えられた社会に最も広く、換言すれば最も通俗に流通している精神上または肉体上の形式形態である。創作は伝統に対して新しい関係をつくることである。
 5
 伝統が大切であるということは伝統は守るべきものであるというのでない。文学作品を正当に理解するために、即ち歴史的に厳格にその発生を知るために必要なものという意味である。人間の生活は伝統的なものである。我々の生活は(肉体的にも理性的にも)いつも伝統に結びつけられている。作品の創作精神を批評するためにはいつも伝統と比較研究すべきである。それで文学を研究する人には伝統の知識が大切であるということになる。
 文学作品を伝統の知識がなく批評することは社会的有機的批評にならない。また文明批評にならなくなる。
(「間接な批評」より)