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推奨の本
≪GOLDONI/2009年12月≫

『江戸芸術論』 永井荷風著
岩波書店 2000年
 

 余は旧劇と称する江戸演劇のために永く過去の伝統を負へる俳優に向つて宜しく観世金春諸流の能役者の如き厳然たる態度を取り、以て深く自守自重せん事を切望して止まざるものなり。元来江戸演劇は時代の流行に従ひ情死喧嘩等の社会一般の事件を仕組みて衆世の娯楽に供せし通俗なる興行物たりしといへどもこれは全く鎖国時代の事にして、今日の如く日々外国思潮の襲来激甚なる時代において此の如き自由解放の態度はむしろ全体の破壊を招かんのみ。江戸演劇は既に通俗なる平民芸術にはあらで貴重なる骨董となりし事あたかも丹絵売が一枚幾文にて街頭にひさぎたる浮世絵の今や数百金に値すると異なる事なし。
 明治の革命起りて世態人情忽ち一変するや江戸の美術工芸にしてよく今日までその命脈を保てるもの実に芝居と踊三味線とあるのみ。浮世絵は月岡芳年を最後にして全く絶滅し、蒔絵鋳金の技は是真夏雄を失ひて以後また見るべきものなきに至りぬ。飜つて今日の西洋諸国を見るに外来の影響は皆自国の旧文明に一新生命を与へ以てその発達進歩を促したるに独我国にありては外国の感化は自国の美点を破却しその根抵を失はしむるに終れり。見よ仏蘭西の美術は日本画の影響によりて聊かも本来の面目を傷けられたる事なきに反し、日本画は油画のために全くその精神を失ひしに非ずや。西洋の工業一度日本に入るや日本の諸器物は全く美術としての価値を失ひしといへども西洋の諸工芸品に至りては巧に日本の意匠を応用してかへつて一大進歩を示せり。日本人は西洋より石版銅板の技並に写真の術を習得せんがためには浮世絵木版の技術をして全く廃滅せしめずんばあらざりき。大正改元以後西洋演劇の輸入一代の流行を来すや、これがために江戸演劇も漸次に破壊滅亡の兆候を示さんとす。余は今日の状態にして放任せしめんか、十年を出ずして旧劇は全く滅亡すべしと信ず。ああわが邦人の美術文学に対する鑑識の極めて狭小薄弱なる一度新来の珍奇に逢着すれば世を挙げて靡然としてこれに赴き、また自己本来の特徴を顧みるの余裕なし。これいはゆる矮小なる島国人の性質また如何ともすべからざるもの歟。進んで他を取らんとすればために自己伝来の宝を失ふ。一を得て一を失へば要するに文明の内容常に貧弱なる事更に何らの変る処なし。明治維新以来東西両文明の接触は彼にのみ利多くして我に益なき事宛ら硝子玉を以て砂金に換へたる野蛮島の交易を見るに異ならず。真に笑ふべき也。
 この一章を草せし後図らず森先生の「旧劇の未来」と題する論文(雑誌『我等』四月号所載)を読みぬ。旧劇は最早やそのままにては看るに堪へざれば、全くこれを廃棄するか然からざれば改作するにありといふ。これ余の卑見とは正反対なるを以て余は大に恑懼の念を抱けり。余の論旨は旧劇は改作を施さざる限りなほ看るに足るべしといふにあり。何が故ぞ。余は常に歌舞伎座帝国劇場の俳優によりて演ぜらるる旧劇中殊に義太夫物の演技に至りては、写実の気多き新芸風しばしば義太夫の妙味を損せしむるに比較し、宮戸座あたりに余命を保つ老優の技を見れば一挙一動よく糸に乗りをりて、決して観客を飽かしめざる事を経験し、余は旧劇なるものは時代と隔離し出来得るかぎり昔のままに演ずれば、能狂言と並びて決して無価値のものに非らずと信ずるに至りしなり。旧劇は元より卑俗の見世物たりといへども、昔のまま保存せしむれば、江戸時代の飾り人形、羽子板、根付、浮世絵なぞと同じく、休みなき吾人日常の近世的煩悶に対し、一時の慰安となすに足るべし。専制時代に発生せし江戸平民の娯楽芸術は、現代日本の政治的圧迫に堪へざらんとする吾人に対し(少くとも余一個の感情に訴へて)或時は皮肉なる諷刺となり或時は身につまさるる同咸を誘起せしめ、また或時は春光洋々たる美麗の別天地に遊ぶの思あらしむ。沙翁劇を看んとせば英文学の予備知識なからざるべからず。ワグネルを解すべき最上の捷路は手づからピアノを弾じて音符を知る事なるべし。江戸演劇を愛せんと欲せばすべからく三味線を弄ぶの閑暇と折々は声色でも使ふ、馬鹿々々しき道楽気なくんばあらざるべし。余は江戸演劇を以ていはゆる新しき意味における「芸術」の圏外に置かん事を希望するものなり。
      大正三年稿
(「江戸演劇の特徴」より)