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推奨の本
≪GOLDONI/2011年3月≫

『芸術起業論』 村上 隆 著
  幻冬舎  2006年
 

 スポーツ選手が綿密な計画と鍛錬を基本におくように、芸術家は美術史の分析から精神力の訓練に至るまで独創的な作品のための研究修業を毎日続けるべきです。突飛な発想を社会に着地させるバランスをあやまれば自分の身を吹き飛ばしかねません。
 率直な話、アーティストには充分な時間も金銭も用意されていません。
 正当な時間や報酬を得て作品を作るには、周囲と自分の関係を醒めた目で把握してゆかねばならないのです。
 芸術を生業にすると苦しく悔しい局面に立たされます。
 私の美しいものを作りたいという願望にしても、様々な障害が立ちはだかって、十数年間もの間、実現しにくいものだったのです。
 日本の美術大学は生計を立てる方法は教えてくれません。美術雑誌にも生き残る方法は掲載されていません。なぜか?
 ここにも理由はちゃんとあるのです。
 美術雑誌の最近数十年の最大のクライアントは美術大学受験予備校、そして美術系の学校です。
 大学や専門学校や予備校という「学校」が、美術雑誌を支えているわけです。金銭を調達する作品を純粋に販売して生業とする芸術家は、ここでは尊敬されるはずがありません。これは日本の美術の主流の構造でもあるのです。
 「勤め人の美術大学教授」が「生活の心配のない学生」にものを教え続ける構造からは、モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由しか生まれてこないのも当然でしょう。
 エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園が、そこにはあります。
 世界の評価を受けなくても全員がだらだらと生きのびてゆけるニセモノの理想空間では、実力がなくても死ぬまで安全に「自称芸術家」でいられるのです。(略)
 芸術家も作家も評論家も、どんどん、学校教師になっていきますよね。日本で芸術や知識をつかさどる人間が社会の歯車の機能を果たせる舞台は、皮肉にも「学校」しかないのです。(略)
 戦後何十年かの日本の芸術の世界の限界は、「大学教授の話は日本の中で閉じている酒場の芸術談議に過ぎなかった」と認められないところなのです。 
 ただ、芸術家が飼い慣らされた家畜のように生存できる日本美術の構造は、最高にすえたニオイのする「幸せ」を具現化した世界かもしれません。
(略)
  意外とそんなに勉強したくなくて、ゆるゆるアルバイトをしながら、たまに公募展に何か出して楽しくやっていたりするのが、日本の芸術志望者の実情でしょう。
 「君のブースはどこ? 近いですね。会場で会いましょう」
 「今日やっと会えたね。なかなか審査員が来なかったけど」
 掲示板やブログを読めば読むほど自分の作品に言及していない。
 お前ら、会えるとか会えないとか、審査員の文句だけかい!
まぁ、それで、充分に楽しんでいる人も、多いのでしょう……。
 (「第一章 芸術で起業するということ」より)

 「自分の興味を究明する」
 「好きなように生きている」
 この二つは、かなり違うことです。
 芸術をやりたい若い人特有のよくないところがあるのですが、それは、みんなが「修業なんて必要ない」と信じているところです。
 親から「好きなようにやりなさい」と言われ続けた人が芸術の世界に入ってきて、それで本当にものすごく好きなように生きています。
 ものを作ることが好きなのかさえわからないまま、
 「大人しい生活に戻るよりも興奮できるお祭り騒ぎの方がおもしろい」 
 という理由で芸術の世界に留まっていたりするのです。
 「そういう行動をすれば、当然こう思われるのに、なんでそんなことをするんだ」
 とか、両親の教育の下地もない人もいたりします。
 単純に言えば「我慢」を知らない人の多い業界なのですが、物事を伝えるための最低限の「てにをは」ぐらいは身につけるべきです。
 訓練がまるでないまま表現している人の量にゾッとするというか、ちょっとでもいいと、先生や仲間がほめちぎるからうまくいかなくなるんじゃないかな、と感じているんです。(略)
「修業しなくてもやっていける」という思いこみがあまりに蔓延しているので、ぼくは却って「この幻想は誰が発明したのだろう」と興味を持ってしまったりします。まぁ、永遠のモラトリアムの夢空間に居続けたい人が、やってきちゃう世界なのかもしれませんけど。
 『美術手帖』あたりに一度でも作品が掲載されてしまえば、それだけで最高にハッピー。
 それからはどこかの美術の先生になる権利を手にいれて、小さい安全な芸術の監獄の中でブイブイ言わせて一生安泰で終わりたがるような希望は、本当に芸術ヤル気あるの?と疑ってしまいます。 
 なんで、ぐうたらな人間がアートをめざしたがるのかなぁ。
 すごいアーティストは、ぐうたらに見えても、実際はものすごく勤勉なのですけどね……。
 (「第三章 芸術の価値を生みだす訓練」より)