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推奨の本
≪GOLDONI/2012年12月≫

 『指定管理者制度で何が変わるのか』 文化政策提言ネットワーク編
 2004年  水曜社

 (略)理念や基準ばかりを誇らしげに謳うばかりで、なんらの罰則規定もない「ザル法の典型」だと揶揄されてきた「博物館法」だが、博物館学芸員課程の講座ばかりが増えて、毎年、1万人近い学芸員有資格者が生まれても、実際にはその数%以下しか就職できない現状を追認するかたちで、「大学で養成できる学芸員資格とは、博物館のよき理解者を育成する程度にとどめる」とされた。これにより、博物館の社会教育機関としての意義、学芸員の専門性への評価などは、全く等閑視され、資料の「収集」「保存」「公開」「研究」「教育普及」スタッフの中に学芸員有資格者さえいれば、博物館としては十分に機能できるとする、ただのイヴェントスペースでもよいと国家が認知したのである。
 さらに、1998年6月の「中央省庁等改革基本法」の成立により、各省庁の89の業務が「国立」から「独立行政法人」への移行が決定し、2001年4月より国立の美術館・博物館が独立行政法人となり、「民営化」されることになった。公共的業務の中でも、政策立案機能部門と実施機能部門を区別して、美術館・博物館は民間的手法に委ねる、すなわち「利潤追求の経営」を目指せばよい、という指示である。
 もともと、国立の美術館・博物館は「博物館相当施設」であったし、その後の各館から提出された「中間計画」への業績評価も、公開されているいくつかの報告を見た限りでは、「親方日の丸」同士の、「予定調和」でとても幸せなごく内輪の論議に終始している。
 定量的、また定性的評価の両方にも配慮した公平性を帯びたものらしいが、現実には、美術館や博物館にほとんど足を運ぶことのない(興味もない)評価委員もいることを仄聞する中で、評価される側―美術館・博物館―が、これまでの市民への奉仕のあり方を反省した環境整備に取り掛かる前に、酷評を恐れるあまり過剰反応して、誰にもわかる定量的評価を志向する傾向が強まって、本来の社会教育機能としての役割を「忘れた」ような「公開活動」ばかりが目立つ。
 「独立行政法人国立美術館・博物館」は、どれとはいわないが、寺社の聖域から無理やりに「お宝」を引きずり出し、東海道をだらだらと下って、江戸時代から綿々と続く、宗門の隆盛を図った出開帳を再現した展覧会、百年前のどこかの科学博物館の館内風景を写した写真の中に入り込んだような「既視感」にとらわれる、薄汚れた衣装や模型が並べられているだけの展覧会、大言壮語ばかりをして、常に天下国家の庇護のもとにあった芸術家の回顧展など、これらは「収益性」は高いだろうが、「国民の文化的資質の向上」に対して、整合性のつく説明をどのようにつけようとするのだろう。
 「機構改革」といわれるものの本旨は、地方分権の確立によって、中央―地方の対立を解消し、公平な富の再分配と文化的平準化を目指すものらしいが、総務省の「地方独立行政法人の導入に関する研究会」が、地方公共団体立の諸施設への独立行政法人化が可能であるとした提言と合わせて考えてみると、「博物館法」の一層の骨抜き、国立美術館・博物館の独立行政法人化の流れが、このたびの、「指定管理者制度」の導入と深く関わっているにちがいない。(略)
 〈篠雅廣「公立美術館の事業評価と指定管理者制度―高知県立美術館の場合」より〉