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九代目団十郎の妻  宮内寿松

九代目団十郎の妻  宮内寿松 

(略)時間が早いので幹部俳優は誰も居まいと思って、いつもは雁治郎が使う楽屋口のとっつきの二階の部屋に顔を出すと、橋尾老人(中車)が火鉢に火もついてない部屋でツマラナそうな顔をしている、「いい所へ宮さん、一寸話がある。座って下さい」まさか話があるというのに帰るわけにもいかず――
 「去年の夏でしたね、長十郎を連れて築地の宗家に行った時…」「そうそう座布団の一件、弟子には座布団を敷かせない、の話ですね」「あの時隠居さんが旦那(九代目)がいるわけではあるまいし、と言って私に味方してくれたら、若御新造(実子、三升夫人)が変なことを言いましたね、三升(若旦那)がいます、て――市川を名乗っていれば誰でも成田家の弟子ですよ、ですが今の私や藤間(先代の幸四郎)、小山(新十郎)などは違いますよ、そこをよく考えないといけませんよ」
 と役者の女房の心得を話してくれた。そのなかで師匠(九代目)のことはよく劇聖だの、芝居の神様だのと言いますがね、亭主を神様にまで仕上げた女房つまり成田家ではます未亡人のことを何とも言わないのは女房大明神どころではなく、女房様々のことを忘れている、ます未亡人みたいに九代目のお三輪(妹背山)があれだけの評判になった内助の功はますさんの若かりし時の亭主への忠誠だったと話してくれた。役者の女房は亭主の浮気退治だけが仕事ではなく、舞台で亭主が売り出せるように仕向けなければ駄目だとも話していた。
 明治三六年五月の歌舞伎座で一番目に「春日局」を九代目が出したが、ますさんは「旦那にはこの役はもう無理だ」と言って身体のことを常より気を使っていた、とのこと。このことは三升さんも言っていたが、成田家の隠居さんは表面に出てカレ、コレ言わないが、裏では重きをなしていたことは確かだ。「とにかくエライものです」と未亡人をホメテいた。ます隠居のことは小山さん(市川新十郎)もホメテいた。市川三升の「九代目団十郎を語る」でも三升さんは「昔から俳優の家内というものは……夫のよいこと、悪いことをすべて知っていて芝居に関する一切の掛合いごとなどもみな女房の役目、母(ます)はそれを実によく守ったものである」と書いている。
 ます隠居は京橋南槇町に会所を開いていた幕府御用達小倉家の娘で九代目が三四才、ます(小倉家にいた時はまさ、後成田家の三升に因んでますと改名)さんは二五才、当時としては晩婚であったわけ。(略)団十郎をあれだけにした蔭の力のます夫人のことを何とも言わないし、書きもしない。(略)劇界としてはもっともっと大事にしなければならない人だと思う。
(『百味』 昭和48(1968)年6月号より)