2021年07月

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

アーカイブ

« 九代目団十郎の妻  宮内寿松 | メイン | 八世市川団蔵について(其の二) <昭和四十七年八月執筆> »

八世市川団蔵について(其の一) <昭和四十七年八月執筆>

八世市川団蔵について <昭和四十七(1972)年執筆>

昭和四十一年六月四日未明、四国の霊場八十八ヶ所の巡拝を無事済ませた歌舞伎界の最長老、八世市川団蔵は、播磨灘で入水した。団蔵はその年の四月、「八代目団蔵舞台生活八十二年引退披露」と銘打った歌舞伎座での引退興行を無事勤め上げ、五月一日、二十年来の念願であった四国巡拝の一人旅に出たのである。そしてそのひと月後、小豆島坂手港から神戸へ向う汽船から、自らの命を絶ったのである。

 団蔵は引退興行を勤めた四月、『朝日ジャーナル』(1966年4月10日号)「一問一答」のインタビューに答えて、次のように語っている。

  歌舞伎は低下していると思います。なんですか、器用になっていますが、これで名人は出るのかな、と思います。芝居は勢力争いではないのでして、ほんとうの競争は舞台でだけやったものです。礼儀もしぜん保たれます。なにかいっても、あんな年寄りがと思われて、反感をいだかれるくらいなら、黙っていたほうがいい。そんな気持ちが私にもございます。芝居は本来娯楽でして、人さまに見ていただくものです。いまの歌舞伎はどうも料金が高すぎましょう。もっと大衆的になって、ほんとうの芝居好きによろこんでいただきたいものです。

団蔵は、歌舞伎の衰退・役者の低劣さ、歌舞伎興行上の問題を、極めて平明で、(役者としての分を弁えているかのように)遠慮深い言葉を用いて、鋭く指摘している。そして、このインタビューの二ヶ月後、団蔵はこの指摘を根拠にして、まさしく、自身の死をもって、歌舞伎に対する最初にして最後の批判を顕在化させたのである。

   我死なば 香典受けな 通夜もせず
      迷惑かけず さらば地獄へ

団蔵はあたかも、「私なんぞがこのような批判をすることは、許されることではない」とでも言うように、右の辞世を遺して、どこまでも暗い奈落へ身を投げたのである。(続く)