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八世市川団蔵について(其の二) <昭和四十七年八月執筆>

 作家三島由紀夫は、団蔵入水の二ヶ月後に、「団蔵」を次のように述べている。

  団蔵の死は、強烈・壮烈、そしてその死自体が、雷の如き批評である。批評といふ行為は、安全で高飛車なもののやうに世界から思われてゐるが、本当に人の心を搏つのは、ごく稀ながら、このやうな命を賭した批判である。(中略)歌舞伎の衰退の真因が、歌舞伎俳優の下らない己惚れと、その芸術精神の衰退とマンネリズムとにあることを、団蔵は、誰よりもよく透視してゐた。
  (『団蔵・芸道・再軍備』「20世紀」1966年9月号)

私の識る限りにおいて、三島由紀夫は、団蔵の死を「雷の如き」・「命を賭した」歌舞伎に対する強烈な批評と受けとめた最初の人である。彼の「団蔵感」は、これから取り上げることになるが、「歌舞伎の世界」と関わりの深い演劇評論家の「団蔵評」に比べれば、遥かにすぐれたものである。「歌舞伎の世界」と距離を置いていた三島が、このような演劇評論家よりも「団蔵の死」に関してすぐれた見解を提出したという事実は、「今日の歌舞伎の衰退」の真因と大きく関わってくる問題でもある。そしてこのことは、「団蔵」に即して言うならば、彼に死を選ばせたもの、彼を死に至らせた、死に追いやったものと繋がりを持ってくるだろう。(続く)