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八世市川団蔵について(其の八) <昭和四十七年八月執筆>

 団蔵の七回忌の朝を播磨灘で迎えようと思っていた私は、団蔵がこの世での「最期の泊」に選んだ小豆島の旅館「たちばな荘」に、今年の六月二日夕刻に着いた。もとより私の旅は、取材旅行のようなものではなかったのだが、宿のご主人、支配人はじめここで働く人々から、六年前に団蔵が泊まった時の様子を詳しく聞くことが出来た。私ははじめ、「たちばな荘」で一泊して、三日の夜、団蔵が乗ったのと同じ時刻の船で神戸に渡る予定を立てていたのだが、ご主人から、「四日に団蔵丈を偲ぶ会があるから出席して欲しい」と誘われたので、予定を変えて四日まで残ることにした。その会は団蔵の死後、その忌日である六月四日に、毎年この宿のご主人が、新聞記者や団蔵の生前の舞台を識る地元の人々を招いて行う団蔵供養の会であった。私は、この宿の玄関前に建てられた団蔵の碑の前での読経をきき、そこで知り合った老紳士と二三時間歌舞伎の話をしたのだが、その老紳士・小汐正実さんは、毎年この日に団蔵を忌う句を詠んでこられたそうで、短冊に書く前に私にその句を教えてくれた。

  草桔梗  蔵俳の碑に  通う径

 宿を発つ時に、小汐さんから「これが草桔梗だよ」と言って渡された、背の低い、花房が直径一糎にもみたない青紫の、目立ちはしないがきれいな草桔梗を、団蔵の「死」を活かすことの重要さと、その困難さを感じながら、神戸へ向う船のデッキから彼の眠る海へ投げ入れた時の思いを、私は終生忘れないだろう。
(一九七二年八月執筆)