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八世市川団蔵について(其の七) <昭和四十七年八月執筆>

  いくぶん長い引用だが、これは武智鉄二の、国立劇場初の公演「菅原伝授手習鑑」の感想である。この文章は、国立劇場の姿勢・俳優の低劣さを、武智らしい表現で端的に言い表している。
明治に入って、それまでの歌舞伎を大きく変えたのは、九世市川団十郎の、所謂「活歴」であり、またそれを基礎とした「団菊系の芸風」であろう。しかし、このことが、今日の「歌舞伎の衰退」の要因であると結論する訳にはいかない。今日まで、この「団菊系」や、「団蔵系」の芸風を含む多くの芸風が残されて来ているが、しかし、それらの芸風を、「芸」それ自体から比較検討する姿勢が、近代以後の「歌舞伎の世界」に希薄であったことが、この衰退の要因ともなるであろう。

 団蔵は昭和十七年に、父七世団蔵の生涯と芸談を記した『七世市川団蔵』を上梓している。この書は、「はしがき」に河竹繁俊博士が「我が文化財に対する貴重な文献で」あり、「戦後において必然的に急速に推移すべき劇芸に対して資益する所多き明治の役者論語で」、また「歌舞伎劇術の教科書である」と記しているように、極めて重要な意義を持っている。この書には、「本格について」という項があり、そこで団蔵は、「団菊の芸を本格とする役者や批評家の意見に真向からいどみかかっ」ている。(今尾哲也・前掲書)
 団菊系の芸の隆盛に比して、影の薄れた団蔵系の芸を明らかにし、再評価させようとする意図を持っていたのである。そして、終生それを舞台に出しきるほどの才を持っていなかった団蔵は、その瞬間まで、その意図を大事に持ち続けなかればならなかったのである。(続く)