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« 劇場へ美術館へ≪GOLDONI/劇場総合研究所 2016年2月の鑑賞予定≫ | メイン | 新聞記事から   朝日新聞 2015年12月22日 朝刊 »

推奨の本≪GOLDONI・劇場総合研究所 2016年2月≫

『人間の演劇』
 ジョルジョ・ストレーレル著  岩淵達治訳  1978年 テアトロ刊

わたしの師匠たち
 (略)今日の若者たちは、多分もう師匠などもたないだろう。そんなものは不必要だと思っている。誰にも「借りをつくりたく」ないのだ。だが師匠は必要なものだ。むかしとはちがった形、ちがった「方法」ではあっても、やはり必要なものだ。そしてわたしには三人の師匠がいた。
 
 ひとりはジャック・コポーである。コポーとは個人的に知己を得ることはできなかった。それでも彼は師匠のひとりだ。彼に負うところは非常に多い、演劇人としての自己形成の根本的なものを、わたしは彼から学んだ。そして今日それを定義するのはむずかしい。でもやってみよう。コポー、もしくは厳格、彼岸的で、道徳的な演劇のヴィジョン、といおうか、コポー、もしくは演劇という統一体に対する感受性、書かれたセリフと演技の間の統一。演劇は道徳的な「責任」をともない、執拗な、ひたむきの愛を捧げるところでなければならない。劇場での、ただの「遊び」だけではない同志的な感情、演劇の苦しいほど「宗教的な」意味、コポーはこうしたことを確信していた。ただ安直な教条に従ったり、儀礼的にそう信じたのではなく、いわばみずから及び他者との凄惨な闘いにもたとえられるような仕方で確信したのだ。彼が演劇でどれだけ沢山のことを放棄したか、その理由は何だったかについてはしばしば語り草になった。今日わたしは、彼の二、三の側近の弟子たちが語っていること以上に、コポーが演劇を放棄したのは、「彼が望んでいる演劇を人間にやれと要求できるのは神だけだ」と思うようになったという単純な理由からだと思っている。
 わたしは信仰をもつ人間ではない。でもわたしは、人生と人間に対するこの厳格な「責任感」、この演劇という統一体、自己破壊と絶対的な帰依というものは信じている。わたしは、他の人のために、他の人の助けをかりて舞台上につくり出す演劇というものを信じている。私の演劇観は「お遊び」的なものではなく、秩序、誠実さ、明晰さ、真実を求めることにおいてつねに醒め、厳しくそれに専念し、苦痛を覚えるほどである。たとえ笑っている時でも。
 
 次の師匠はルイ・ジュヴェだ。ジュヴェとは知り合いになれた。しかも人間的にも演劇人としてもかなり親しく。わたしはまだ若く、彼はもう「演劇界の大御所」で「大人<ル・パトロン>」(わが国にはない、すばらしく好きなフランス語だ)だった。彼の人間味、わたしに持ってくれた「本物の」関心、別の世代、別の世界、別の興味、こういうものが今日まで、わたしにとって「有効な」教訓になっている。特に、自分からみると多少異様で、多少敬意をもっている自分の後の世代の人のなかにも入りこんでいこうとするあの能力をわたしは彼から学んだ。さらに、演劇を、そのみじめな面、つまり「神々しい芸術」ではなく、「日々の労働」としても受けいれる勇気を学んだ。また「職人芸を職人芸として」愛すること、職人芸を使用し、しかも「うまく使う」というプライドなども彼からゆずりうけたものである。
 つまり演劇を人間の仕事と考えるのだ。演出しながらつねに批判をとぎすましていることも彼から学んだ。台本をただ言語学的に、文明批評的に「研究」するだけでなく、「感覚的、直観的に理解」し、しかも前の場合と同じように一種の批判的態度を失わないでいられる術だ。演劇のはかなさを勇気をもって認める感覚も彼に学んだ。このことでジュヴェのしてくれたある話を思い出す。ある老優が、彼の演じた当り役のすべての衣裳を保存しておいた。ハムレット、マクベス、リア、その他数えきれない世界の演劇の「怪物たち」の衣装だ。その俳優が死を直前にして衣装を眺めているとき、突然悟ったのは、生き残っていくのが自分ではなく「ほかの連中」だけだということだった。永遠不滅なのは衣装でも役でもなく、劇詩の本質だけなのだ。生涯の終りになって、ようやくこの俳優は、彼が単なる道具だったこと、たぶんかけがえのない道具ではあろうが、所詮は詩の道具にすぎなかった理解したのだ。(略)
 彼は演劇に身を委ね、演劇によって自分を創造させることしか望まなかった。

 そこに次の師匠が登場する。ブレヒトだ。ブレヒトはある意味では終着点だった。(略)ブレヒトはわたしに、(他にもいろいろ教わったが)「人間的な演劇」、ゆたかで包容的な演劇(ジュヴェともある面では関係がある)を教えてくれた。包容的とはいったが決して「自己目的の演劇、演劇バカの演劇」ではない、人間を楽しませるための人間のための演劇、だがそれだけでなく、自分を変革し、人間のために世界を変革するために、人間に手を貸してやる演劇だ。俳優、演劇人で、しかも同時に自覚して生き、責任をもつ人間であること、この二つの次元を徹底的にきわめていくこと。歴史と無縁な演劇など存在しない。時代と無縁の、「太古以来変らない演劇」など存在しない。歴史は「反演劇的」ではなく、歴史と演劇、人生と世界は、たえまない、困難な、しばしば苦痛であるほどの弁証法的な交流関係をもっている。交流しつつ常に活動的に、常に全体的な生成にむかっている。
 ブレヒトは舞台上の技術と方法論の偉大な師匠だった。彼はトータルな「演劇人」だった。彼は大演劇人の風格を備え、すべてを<演劇化>し、すべてを吸収して演劇に融けこませた人だった。(略)わたしをとりこにしているのは、あの比喩的な、あまりにも使い古されていながらそれでも驚くほど正しいブレヒトの言葉であろう。「すべての芸術は、結局すべての術のなかで最高の術に達する役に立つ。それは生きる術である」。はじめはそれを自覚していなかったが、今ではわたしにはその自覚があると思う。これ以上、自分について言うことはない。(「第二部 芸術作業としての演劇」より)