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新聞記事から   朝日新聞 2015年12月22日 朝刊

≪文化・文芸≫
 常に闘い 孤高の挑戦 世界的ダンサー、シルヴィ・ギエム引退公演
 バレエの枠超え、哲学的表現者へ

 世界を席巻してきたダンサー、シルヴィ・ギエムが今月引退する。「ライフ・イン・プログレス(進化し続ける人生)」などと題した引退公演を日本各地で展開中。これが世界ツアーの締めくくりとなる。東京では新作を含む3作を踊り、かつてない自在な境地を見せた。

 前人未到の歩みだった。パリ出身。体操選手からバレエに転向。史上最年少の19歳で、パリ・オペラ座の最高位エトワールに。現在、50歳。余裕たっぷりに地と垂直に掲げられ、きりりと天を指すつま先は、バレエの型やジェンダーなどあらゆる「制度」を蹴り壊すギエムの象徴となった。
 性別も年齢も超越したかのような肉体が、か弱き古典のヒロインに人格を与えてゆく。階級文化を前提としたバレエの世界において、その強さは革命だった。2009年、生涯をダンサーとして生きるとはどういうことかと問うと、静かに、しかしよどみなく答えた。「自身が自分に対する一番厳しい批評家であること。常に自分で人生を選択し、変わっていく自分に責任を持つこと」
 バレエの世界で、彼女は常に闘っていた。古典の型をも、ひとつひとつ自らに問い直した。「伝統だから」と思考を止め、従順なプリマで在り続けることにいつしか耐えられなくなった。「楽な方へ流されたくない」。23歳でバレエ団を辞めた。踊ることで、どこまで世界と響き合えるかという挑戦のはじまりでもあった。
 その後の歩みは孤高ではあったが、決して孤独ではなかった。インドの古典舞踊を礎とする振付家アクラム・カーンら、西洋の価値観に縛られぬ表現者との仕事に自身を委ねた。踊ることはギエムにとって、主張する己を「見せる」ことではなく、あるがままの世界を哲学する思索の手段となってゆく。究めるほどに、殻をむくように「私」が消えていった。
 引退ツアーの締めくくりの地として日本を選んだのは偶然ではない。京都や岡山・倉敷を旅し、和傘職人に会い、陶芸を体験した。自然と折り合うことで成熟を遂げてきた日本文化が「私の生き方や踊り方の一部になっている」と語った。10月、世界文化賞の授賞式では「地球に対し、今できることをやってゆく」と繰り返した。
 肉体と精神の途方もない葛藤を終え、ギエムはいま、生きることそのものが踊りとなり、表現となる新たなステージに立っている。
 (編集委員・吉田純子)

<今日の『贅言』>
  「なんちゃってコンテンポラリーダンス」やら、「なんちゃって現代美術」「なんちゃって演劇」など、もどきの芸術表現が蔓延っているが、まともな基礎教育、専門教育を受けず、鍛錬研鑽に無縁な日々を送っている現代ゲイジュツ界隈の住人たるこの「なんちゃって」の、自称ダンサーや美術家気取り、演劇遣ってるつもりのアッパレが、この記事を読んで何かを感じるだろうか。
 まあ、彼らは、ギエムを知らないだろう。もしギエムを観ていたのなら、「なんちゃって」のぬるい世界にはいない、いられないはずだと思うが、どうだろう。観たとしても、「あたしでも出来そう」と言うのだろうか。
  あらゆる世界で批評が力を失くした今、「言った者勝ち」、「遣った者勝ち」が蔓延している。政治も、経済も、言論も、だ。