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新刊書籍から《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年4月》

『岩波講座 現代 2 ポスト冷戦時代の科学/技術』
〔編〕中島秀人 岩波書店 2017年2月刊

6 日本型リスク社会
神里 達博

はじめに
日本にとって「戦後」という時代が実質的に終わったのは、いつなのだろうか。諸説あろうが、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた一九九五年を、一つの大きな断章と捉えることは、不自然ではなかろう。世界に冠たるものと信じられてきた日本の土木技術の成果が無残にも破壊され、そしてほぼ同時に、未来の科学技術を担う専門家の卵たちがカルトに没入し、世界で初めての「自国の一般市民に対する無差別テロ」を行なったのだ。この二つの事件で破壊されたものはあまりにも多いが、なかでも「専門家への信頼」が大いに毀損したことは、現代社会のあり方を理解する上で非常に重要であろう。
その後、薬害エイズ事件裁判、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故やJCO東海事業所のウラン加工施設における臨界事故、メガバンクの破綻と金融危機、自動車会社のリコール隠し、ダイオキシン問題、BSE・新型インフルエンザなどの新興感染症や食品スキャンダルなど、信頼崩壊の連鎖は広がっていった。そして気づいてみれば、野口悠紀雄氏が言うところの「一九四〇年体制」は終焉を迎え(野口 一九九五)、しかし次の「体制」ははっきりしないという、いわば「遷移状態」に入ったといえるのではないだろうか。それは、人々が専門知に高度に依存する生活を営みながらも、同時にそれを担う専門家のシステムを完全には信じきれないという、アンビバレントな状況もある。二〇一一年の巨大地震と原発事故の複合災害は、この一九九五年から始まった日本の遷移状態を、誰の目にも明らかな、決定的なものにしたようにも思われるのだ。
(略)こうして私たちの社会は、いつの間にか「リスク」にまとわりつかれるようになった。だが同様な現象は、実は先進諸国を中心に、広く顕在化してきているともいわれる。そのことに最初に注目し検討を行ったのは、ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックである。後ほど改めて検討するが、彼が提示した「リスク社会」という概念は、その後、主として欧州で発達し、現在も議論が進んでいるところである。
では、この欧州で見いだされたリスク社会化という現象が、確かに日本でも起きていると考えてよいのだろうか。仮にそうだとして、社会的・文化的条件の異なる日本において、同列に議論することは適切なのだろうか。つまり、欧州と日本を比べた時、リスク社会の様相に相違点はないのだろうか。
このような問題意識を背景に、本章では、過去二〇年の間に日本で起こったさまざまな事件・事故のうち、特に「専門知とリスク」に関わる社会問題を二つ選び、その経緯を詳細に検討する。その上で、日本がリスク社会的状況になりながらも、欧州などのそれとはやや異なる状況にあるということについて議論してみたい。最後に、この状況を乗り越えるために、いかなる方策をとりうるのか、若干の検討を行うこととする。