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『GOLDONI JUGEND』との大つごもり

 30日9時半、赤坂見附駅に着く。弁慶橋付近を散策。そして10時ちょうどにサントリー美術館に。閉館記念の『ありがとう赤坂見附 サントリー美術館名品展 生活の中の美1975-2004』展の最終日。野々村仁清作の『色絵鶴香合』をはじめて見る。丈(鶴の首)のある香合も面白い。桃山時代のものといわれる、『桐竹鳳凰蒔絵文箱・硯箱』の細工の見事さに感心。銅製鍍銀の水滴は、鳳凰の羽根が付いた卵を象っている。製作者のアイデアか、発注者のセンスか。たいした遊び心である。鍋島の『染付松樹文三脚皿』は、薄手の成形で、皿の中心部分に余白を残し、屈曲する松樹を周辺に描く巧みな描写。高台の三方に菊葉形の脚をつけたもの。バランスのよさは出色。江戸中期から昭和の四十年代まで営んでいた、銀座の陶器屋『陶雅堂』の末裔ながら、まったく焼き物に関心も造詣も無く、今頃になって己の無知を恥じ入り、少ない残り時間に慌てて機会を作り勉強する始末。江戸中期以降、江戸・日本橋商人の娘の行儀見習先の多くは諸藩の屋敷であったが、曽祖父の妹も、取引のあった鍋島藩上屋敷から下がり、当時の俳優の多くが花柳界から妻を迎えたのに反して、堅気な家の娘を妻に望んだ九代目市川團十郎と見合いもせずに縁談が纏まり夫婦となった。
 やきもの、鍋島、の連想から、また江戸を引き摺る明治の時代に思いを馳せていると、その隣りで中年婦人の二人連れが、辺りを憚かることなく大声で話している。どこへいっても、公共空間認知能力の欠如した、最低限の社会性すら持ち合わせない愚かな人たちを、亡くなったオーナー佐治敬三氏に代わって小声(?)で叱る。効果はてきめんで、混み出した館内、ざわつき始めていたところだったので、暫くは静かなフロアに戻った。このサントリービルには二十数年前から数年、宣伝費や協賛金の無心によく通った。そんな若き日の想い出の場所との別れを惜しむ朝だった。GOLDONIに戻った昼過ぎから23時までは、年末の挨拶にお越しのご常連や、最近始めた研究会のメンバーたち、若い友人である翻訳家などと、それぞれに長い時間をかけて話し込んだ。
 31日の15時過ぎ、GOLDONI の前で道路の雪かきを始めているところに、神保町に僅かに残る路地に相応しからぬ美しいアメリカ人母娘が、頭に雪を頂きながら「ハーイ」「コンニチハ」。懇意にして下さるV氏の夫人と愛嬢のおふたり。夫人は私が大晦日の遅くまでGOLDONIに篭るだろうことは先刻ご承知か、銀座・久兵衛の寿司を差し入れて下さる。アメリカの大学院で演劇を学ぶお嬢さんに、大学での上演活動、授業のことなど伺う。お二人が帰られた後、JUGENDのSさんが年末の挨拶に寄ってくださる。手には焼き菓子の詰め合わせ。「僕も年末の挨拶にこれくらいのことをさせて戴きたくて…」。忝し。昨年から手伝っている日本演出者協会のことなど教えてもらう。
 大雪になりそうなほどの悪天候、底冷えのする寒さもものかは、遠くはアメリカ(麻布の自宅から、パパ運転のベンツで、だけれども)から、近くは飯田橋から自転車で、能力も見識も志も高い『GOLDONI JUGEND』の訪れに心温まる大晦日だった。