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『最善を尽くし、一流たれ』

正月の新聞から。日本経済新聞の元旦から始まった『私の履歴書-中村鴈治郎』が面白い。今年の12月に京都・南座での顔見世興行で、230年途絶えていた上方歌舞伎の最高名跡・坂田藤十郎を襲名する現三代目の鴈治郎。経済活動では地盤沈下の激しい関西で、(我が国民のモラル低下の推進役でもある吉本興業は、本の街、知の集積基地である神保町に痴性で対抗か、GOLDONIの隣りのブロックに進出。そのお披露目は、所属タレントが社員マネジャーを殴ったとかの傷害事件でタレント本人が開いた涙の記者会見だったそうだ。)歌舞伎は戦後の数年で斜陽化し、東京からの俳優が応援、あるいは主役の座を奪っての興行が五十年以上続いている。そんな時代、「私はかねて江戸歌舞伎と上方歌舞伎の両方が隆盛になることが、歌舞伎の本当の意味での隆盛」と語る。「襲名が近づいてきて、藤十郎の影のようなものを感じ続ける毎日」だそうだ。また、祖父・初代鴈治郎が一代で築いた名を返上しての73歳の挑戦。初代鴈治郎同様に名門出身でなく、大正・昭和前期に活躍した祖父・初代中村吉右衛門の名を益々高め、東京一の大俳優になった二代目中村吉右衛門は60歳。この東西のふたりに現役として長く活躍してもらいたい。「家の名前を継ぐ通常の襲名」が目白押し、芸道よりは女性タレントに関心の向く、歌舞伎俳優というよりはテレビ芸能人紛いの世襲役者の演る舞台が量産され、舞台よりもテレビや新聞・雑誌などマスコミ露出度が実力の証のように、本人だけでなく、当のマスコミの人間まで勘違いさせる現状が続けば、長期的には歌舞伎の命脈は尽きるだろう。
鴈治郎の履歴書の昨日の回からは、武智鉄二が行なった、所謂『武智歌舞伎』の話が出てくる。「武智先生は資産家で、戦時中、古典芸能を守るため『断絃会』という鑑賞会を主宰しお師匠たちを支援し」ていた。そうした古典芸能の演者のうちでも特に名人と言われた、浄瑠璃の豊竹山城少掾や能の桜間道雄に稽古をつけて貰っていた。 「そうでなかったら私みたいな者に稽古をつけてくれるはずがない。いくらお金を出しても教えないような名人」には、武智が稽古の月謝を支払っていたという。 『一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる』と武智鉄二に言われていたそうだが、これは芸だけでなく、あらゆることに置き換えて言える教えだ。
若い時分に武智鉄二や扇雀を知り、今は吉右衛門だけを本格の江戸歌舞伎俳優だと思っている私は、親や師匠たちに教わったと同じ武智の教えに触れ、「清里開拓の父」として著名なアメリカ人宣教師のポール・ラッシュ博士が、八ヶ岳南麓の地元の子供たちに教え諭した言葉を思い出した。
『Do your best and it must be first class』。