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新春の初尽くし

正月の三が日は、元旦の昼からGOLDONIに出て、新年の挨拶に見える来客と話をしたり食事をしたりし、そのまま4日から8日の土曜日まで休まなかった。幼少の頃からの新年の浅草寺の初詣でが出来たのは9日の日曜日。初の劇場見学は10日の成人の日、佐藤信氏のご案内で神楽坂に3月完成予定の岩戸スタジオ。こんな小屋を併設した図書館が欲しくなった。初パーティーは12日の椿山荘(幼い時分は見事なボンヤリで、蛍がこの椿山荘にだけいるもの、と思っていた)での俳優座創立六十周年の宴。俳優座の若手俳優たちが、ショータイムの舞台に乗って歌ったり踊ったりしていたが、その舞台姿は演出なのか全くの素人になりきっていた。初寄席は、15日の国立劇場演芸場での『花形演芸会』。(開演時間には間に合わず、仲入り前の柳家喬太郎の『三味線栗毛』から聴いた。この人は新作の人気若手落語家だが、この日は、最初からトチリが多く、古典をまともに浚って舞台に臨んでいるとは思えない悪い出来。トリの三遊亭竜楽『紺屋高尾』、予感がありロビーのモニターで聴いていたが感心せず、途中で演芸場を出た。ゲスト出演の国本武春だけがやけに目立った、今日の芸能を映す暗示的な演芸会。)初芝居は、今日の歌舞伎座の昼の部。目当ては無論の事だが、中村吉右衛門の『梶原平三誉石切』。柄といいニンといい、説得力といい、見事な平三景時。六郎太夫の市川段四郎がよく勤めていたが、台詞のトチリが重なり残念。市川左団次や中村福助の拙さなど書くだけ野暮というもの。『松廼寿操三番箒叟』の市川染五郎、十四五の少年ならば誉めるところ。海老蔵同様、独身のうちに外に子供を作るほど立派な大人の俳優としては何とも不足な出来。『盲長屋梅加賀鳶』の松本幸四郎、この人を歌舞伎でも、東宝ミュージカルでも、松竹大衆劇でも、ましてや三谷幸喜作品でもなく、彼の得意そうな心理描写が生きる海外戯曲で観たいもの。中村屋の郎党のような松竹の幹部も、物入りだった昨夏のニューヨーク公演の後始末や何とも分不相応な勘三郎襲名3が月興行の仕込に大童だろうが、高麗屋のことも少しは考えるべき。坂東三津五郎に精彩なし。勘九郎もそうだが、マスコミが実力以上に評価、持ち上げることも彼らの所謂『運も才能』だとすれば、彼らの身体の小ささは不幸なほどに運がなく、大きなハンディキャップ。ただ、幼少の時に観始めた市川寿海、桜間金太郎、藤間藤子、井上八千代などの昔の名人は、体こそ小さいが舞台では大きく立派に見えた。今の彼らには身体的なハンデではなく、本質的な何かが欠けているのだろう。『女伊達』の中村芝翫、姿形で興味をそがれた。将来の歌右衛門になる福助を観続けるほどの覚悟も義理もないが、成駒屋も団十郎もだが、裏に回ってでも少しは本腰を入れて子弟の演技指導・生活指導に専念したらどうだろう。
今年は今まで以上に優しく穏やかで、無理にでも誉めるところを見付ける好事家を目指そうと年の初めに誓ったが、それにしても少し甘すぎるコメントになってしまった。