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『新劇』と『リアルタイム』

 先日来、昨年の11月から最近までの新聞の切抜きを整理していて、掲載日は離れているが関連のある二つの記事に目が止まった。一つは、朝日新聞12月9日の夕刊、演劇評論家・大笹吉雄氏の寄稿の記事だ。劇団青年座が11月末からの十日ほど劇団創立50周年記念の事業として下北沢の5会場で同時上演したが、その全てを観た大笹氏の、寸評を含めたレポートだ。観るようにと青年座の製作部から誘われていたが、先約やら急な来客などで一本も観なかった。西田敏行が退団し、津嘉山正種が新国立劇場製作の『喪服の似合うエレクトラ』に出演中。演目、演出、出演者など、これを見逃しては、というせきたてられるような気分にも正直ならなかった。演劇評論家という人たちの批評の対象への迫り方の尋常でない姿勢に驚嘆。「リアリズム演劇もアンチ・リアリズム演劇も、そういう考え方とは無縁な歌舞伎の脚本も、新作も再演もと多様だった。とりあえずはこれが青年座が示した新劇の幅である。同時に注目したいのは、5劇場すべてが定員500以下の小劇場だったことだ。つまり、築地小劇場以来の本来の意味で、新劇は小劇場演劇にほかならない。」と氏は書いている。『新劇の幅』とは思わなかった。『新劇は小劇場演劇』とは知らなかった。青年座が示したのはお祭り気分のごった煮の「企画の幅」だとうかつにも思い込み、彼らの演劇公演の柱は、収益源でもある全国の演劇鑑賞会主催の千人規模のホールでの巡回公演で、下北沢や新宿など4百席程度のホールでの公演は、その為の仕込であり営業の為の発表会、形だけやるのだから小さいところで費用を掛けずに済まそうくらいの魂胆だろうと見くびっていたが、青年座の質の低そうな企画すらが、『築地小劇場以来の』『新劇は小劇場演劇』との凛々しい運動のようなものとは思いもよらないことであった。
 うっかり前半を飛ばしてしまった。大笹氏が冒頭に書いているのは、ある書評に対するコメントだ。その書評には、『今や崩壊したにも等しい新劇』という表現があって、「根拠のない言葉の繰り返しにうんざり」されたそうだ。氏は『喪服の似合うエレクトラ』や『ピローマン』の例をあげ、「新劇は今も元気印」と論じる。六十年代のアングラ台頭期以降、大手新劇団の文学座も民藝も俳優座も、既に昔日の勢いも面影もないほどに弱体化しているものと、私は長く思っていたが、テレビタレントに頼る商業劇場や新大衆演劇専門の劇場の作るものが「新劇」なのだとは知らなかった。
 もう一つの記事が、問題のこの書評だ。これは11月28日付の朝日新聞の読書欄にあるもの。この欄は、同じ朝日の夕刊に載る演劇関連の記事とは段違いに、最も権威ある報道機関と自負する「朝日」の、その見識を存分に示すものとして知られる。書評者にも第一線の研究者や評論家、名高い読書家を揃えている。大笹氏が「うんざり」させられた書評は、関容子著の『女優であること』(文藝春秋社刊)を評した音楽評論家・安倍寧氏の手に成るもの。同書で取り上げられた女優のうち、「奈良岡朋子、岸田今日子ら新劇系が多数を占める。著者の歌舞伎通はつとに知られているところだが、今や崩壊したにも等しい新劇への思い入れも、並々ならぬものと見た」とある。この数日、GOLDONIに見える七十代のご常連に、『今や崩壊したにも等しい新劇』という表現についてご意見を伺っているが、皆さんのご返事は、『その通りでしょう』。ある方は、『そんな状況だからこそ、あなたが蛮勇を振るって書店を開き、図書館を作ってでも新劇の復権を図ろうとしているんでしょ』と、かえって私の認識と決意を訝られる始末。1940年代、50年代の東京の高校生、大学生だったご常連の方々は、その当時からの新劇の観客であり、また実践者でもある。戦後の新劇ブームといわれた時代をリアルタイムで体験されている。文学座の出来たてのアトリエでの公演を高校生の会員として観始め、一昨年までは最大の新劇団でもある四季の役員としても活躍した安倍寧氏の、五十数年にわたる「新劇」の同時代を生きた観客・批評者の実感のこもった感慨に触れて、それに「根拠のない」とか、「うんざり」とかの強い言葉で批判する大笹氏の「新劇」体験とは、いったい如何なるものなのだろうか。
 演劇公演の招待状が届かなければ、文化庁だの読売だの朝日だのNHKだのと、文化助成審査や新聞劇評やテレビ番組で取り上げることをちらつかせ、チケットを強要する手合い、ゴロツキが増殖する昨今だが、その中で劇団四季の招待状が届かないと自著で明かす大笹氏、他人が使う『新劇』や『小劇場』などの言葉に、敏感に反応することも隠さない正直な方、なのかも知れない。