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白洲次郎の『プリンシプルのない日本』

先月GOLDONIに見えたメディア総合研究所の吉野眞弘氏が作られた、白洲次郎氏の文章を纏めた『プリンシプルのない日本』(2001年、ワイアンドエフ刊)を久しぶりに読んだ。白洲さんが如何なる人物かは今更説明することもないとは思うが、綿貿易で成功した実業家(白洲文平。19世紀末、明治時代中葉にハーバード大に学び、三井銀行、鐘紡に勤めたのちに独立。財を成したが昭和初期の金融恐慌に遭い倒産。)を父に持ち、芦屋生まれ、ケンブリッジ大に学び帰国。ロンドン時代から当時の駐英大使だった吉田茂と親しく、戦後はGHQとの連絡調整の任にあたる。実業家としても、東北電力会長などを歴任。晩年は軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長としても活躍。若くして英国で教養と紳士道を身に付けたが、ゴルフ場でマナーの悪い田中角栄(だったか)を叱りつけたこともあるほどの硬骨、原則の人。五十年ほど前の雑誌『文藝春秋』に載せた文章全体の題は、「おおそれながら」だったり「腹たつままに」、「頬冠をやめろ-占領ボケから立直れ」、「嫌なことはこれからだ-勇気と信念をもって現実を直視しよう」など。またそれぞれの小題も、"智恵なき国民" "軟弱なら軟弱外交らしくせよ" "小役人根性はやめろ" "経営者の小児病を笑う" "政治家の「ハラ」程愚劣なものはない" "血税濫費の「御接待」" "もう一度戦争責任を考えよ"など、あげたら切りがないが、厳しくまた痛快。
さて本題である。この本の中にある、五十二年前に白洲が書いたものをここで取り上げたい。
「事業が苦しくなって来るにつれ、国家補助金を当てにする気分が大分頭をもち上げて来たらしい。新しい日本としては、ドッジさんじゃないが、補助金の制度は止めた筈だ。私は原則的には補助金制度など大反対だ。今、補助金、補助金と叫び出している御連中にしても、何ヘン景気とか何とか言って金がもうかって仕様がなかった時には、税金以上のものを国家に自発的に納入する意志があったろうか。インチキの社会主義者みたいに「私が林檎を一つ持っている。この林檎はみな私のもの。貴方が林檎を一つ持っている。その林檎の半分は私のもの」なんていう様な差引両取り、丸もうけなんていう考え方は、この頃はやりもしないし、通じるわけもない。どうしても或る産業の補助金を交付する必要があるのならやるがよい。然し私はその補助金をやるのに条件をつけたい。
一、政府は補助金を授ける会社の経理を厳重に監査監督すること。
二、その会社の利益が或る程度以上になった時にはその超過分に対して累進的に重税を課すること。
三、その会社の経営に当る人事に就き政府が或る種の発言権を持つこと。 
(中略)私の言いたいことは、もうそろそろ好い加減の一時しのぎやごまかしは止めた方が好い。もっと根本的に我国の経済の現状を直視して、その将来を考えるが好い。(「国家補助金を当てにするな」『文藝春秋 一九五三年六月号』より)」
私の言いたいことはもうお判りだろう。事業を演劇に、国家補助金を文化庁などの文化芸術支援(委託)事業に、インチキの社会主義者を補助金漬けの演劇関係者に、林檎を金に、それぞれ置き換えて読んで欲しい。
国などの補助(税金)を受け、そのことで自立する基盤が整い、その補助金を国に返そうとの心掛けの上演団体があったか。個人では、国内外での研修制度の利用者で、その支給された費用(全て税金)を後に返そうと思った者はいたのか。在外研修制度利用者や、国際交流・海外フェスティバル参加での支援を受けた団体や個人が、文化庁などとのパイプが出来たことをよいことに、補助金取りの亡者に成り果てているのではないか。支援制度の対象になりそうな企画ばかりを考えていないか。今年の1月6日のブログ『新年、そして最後の年に思うこと』に書いたので繰り返しは避けるが、こんなことにならない為にも、またさせない為にも、国は舞台芸術についての補助金・支援制度のあり方を根本的に改めるべきだろう。その為には、業界関係者や演劇評論家など利害関係者を集めた審議会や調査会、審査会などの行政の追認・翼賛的機関を設けず、白洲が付けた条件などをヒントにしつつ、「パブリック・コメント」など、広く一般国民に施策について意見を求めるべきだろう。
白洲次郎は言う。「大体補助金をやってまで運営しなければならない会社が、日本にあり得るとは私は思わない」。「補助金が無ければやって行けぬ様な産業はこの際思い切って止めるがよい。国家の経済環境はそれ程貧困なのだから」。
これは五十年前の国家や経済に限った話、ではない。