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『権威の失墜』について考える

拙宅の本の整理をしていて、7、8年前にブームになった「複雑系の経済学」関連の本に目が止まった。その中の一冊、『複雑系のマネジメント』(ダイヤモンド社)を久しぶりに読んだ。先ごろ、十年に及ぶ経営トップの座を降りたソニーの出井伸之氏と、京都大学経済研究所所長の佐和隆光氏との対談が、その冒頭にある。対談は1997年8月、出井氏が日本を代表する経営者として高い評価を受け、飛ぶ鳥も落す勢いであった頃のもの。出井氏は「複雑系」「収穫逓減と収穫逓増」「リ・ジェネレーション」などについて、大いに語っている。企業は変らなかったらマーケットからは懲罰を受ける、政治家も選挙で懲罰を受けるが、行政はそういうことはない、との佐和氏の発言を受けて、出井氏は言う。「企業は国家の制度改革を待っていられません。自分で変えるしかないんです。日本という国は、五〇年前の敗戦によって一回リセットがかかりました。そこからスタートして、これまでの繁栄をつくってきたわけです。しかし、いま一度あえてリセットをかけなければいけない。ところが、「まだ大丈夫」と思っている人が多数派で、「変らなければ」と考えている人は少数派です。しかし、変化のスピードはものすごい。好むと好まざるとにかかわらず、変わらざるをえません」。人間は厄介なものである。自分のことが最も判らないものである。聡明なはずの氏も、自分に向って吹く変化の風を読むことに疎かった。このところの経済紙誌はじめジャーナリズムは、出井氏の退陣は遅すぎたとの大合唱で、十年前の社長就任からの数年は異常なほどに持ち上げておいて、今度は無能呼ばわり、大悪人のように叩いている。いつものことだが、マスコミの不見識には呆れる。
昨秋にNHKでは常態化していた制作費横領が発覚、その隠蔽やら、海老沢会長の組織壟断、政界との癒着など、殆ど毎日のように報道が続き、挙げ句の果ては、朝日新聞とNHKとの泥試合にまで発展した。そこに元・東大生の堀江某とニッポン放送はじめフジ・サンケイグループとのバトルが勃発。ニューズバリューが無いと思ったか、ともにやましいことがあって取り上げることに逡巡してか、あれほどに互いを批判しあった朝日もNHKも停戦状態に入り、今はこの騒ぎを報じることに必死である。見識の無いこと夥しい。
かつて日本の権威と言われた「東大、朝日、NHK」、ソニーの出井氏同様に見事なほどの失墜ぶりである。