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ウィーン・フィルのライナー・キュッヒルを聴く

先月の23日に東京オペラシティコンサートホールで聴いた、ウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒル率いる弦楽四重奏団の余韻が二週間近く経った今も残っている。先日の朝日新聞夕刊に載った、音楽評論家・伊東信宏氏の音楽評には、「弓のスピードの緩急だけでアンサンブルを見事に統率してしまうさまはちょっと見物」だとあり、また、「もともとキュッヒルの演奏は、思わせぶりなタメや見栄を排した清潔なものだ…」との評に、得心した。私は、元来が演劇書の収集が趣味という訳でもなく、物欲というものが全くと言って良いほどに無く、人や物に対する執着、粘着性すらも低い方だと思っている。一視同仁、直情径行を旨としているつもりで、それこそが思わせぶりや、見栄や、人様の顔色を窺うことは得手ではない。幼い時分から、思わせぶりな態度や見栄を張ることに抵抗を覚えていた。しぜんそんな性分が芸術的な嗜好にも影響しているのだろう。
松竹経営幹部たちの努力が奏効してか、なんとか4月からは、警察官への公務執行妨害容疑で逮捕された(ちょっとしたいたずら、だとか、オイタが過ぎただけだとかと、芸能マスコミ周辺は言っているのだろうが、そんな甘いものではない。松竹が払うであろう代償がどれほどのものか考えたか。それどころか下がる一方の芸能というものの社会的地位が、この悪たれの為にどれほど下がったことか。)親不孝も出演している。この父方の祖父である17代勘三郎は、若い時分から達者な役者との評価はあったのだろうが、私は子供の時分から感心したことが無い。というよりも、彼の芸の品格の無さもだが、あざとい芝居にうんざりさせられていた。襲名したばかりの当代勘三郎については、敢えて論ずるまでもないだろう。私が生まれる前の先代が、新聞劇評がまだ批評として成り立っていた頃に、どう評されていたか、 『現代日本演劇史』昭和戦後篇(大笹吉雄著・白水社刊)で調べてみた。
東京新聞昭和21年12月17日の秋山安三郎は、「島衛の島蔵のもしほ(17代勘三郎)、千太の染五郎など、四日目にまだ台詞が入っていないという醜態の上に、もしほに至っては狭い舞台で例の浮かめ方をしているのでみるに堪えない不快を憶える、これでは東京の真ン中で旅芝居をしているのも同然で、何より貴重な舞台の出演に感動のない精神は責められねばなるまい」。東京新聞昭和25年9月8日の戸板康二は、「勘三郎、しのぶのあどけなさを出そうとする技巧が目立つ。同じ事が『戻駕』における福助の禿にもいえる。ああいうビタイは、もうやり切れない」と書いている。かつて先代が座頭での歌舞伎座や国立劇場の公演で、たびたび団体観劇の回に不幸にも出くわしたことがあるが、そんな時の勘三郎は、身上ともいえる媚態はどこへやら、団体客相手に芝居をしても仕方が無いとでも思ってか、地なのだろう不遜でやる気の無いゾンザイな演技をしていた。歌舞伎の勉強のつもりが、人間は時と場合によって態度が変わるものなのだと、芝居以上に教えられたものだ。
GOLDONIのHPの巻頭随想『劇場の記憶』に、明治大学の神山彰先生がお書きのように、「演者も観客も中腰でいる騒々しく落ち着き皆無」の歌舞伎座に、本格派の吉右衛門が戻る6月が待ち遠しい。