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名人・豊竹山城少掾を聴く日々

今週の19日に、このGOLDONIのHPに新たに4名の知人に書いて戴いたエッセイを掲載した。その執筆者のお一人である光産業創成大学院大学教授の北川米喜さんからつい先日頂戴したカセットテープが面白く、GOLDONIで日に何度もかけて聴いている。どんなものかといえば、義太夫の昭和の名人・豊竹山城少掾が登場するNHK放送番組を収録したもの。晩年の山城少掾には少しだけだが記憶がある。昭和34年に80歳で引退しているので、生では聴いたことも無く、舞台の記憶は無いが、家が近かったからか、小学生時分にはたまに見掛けた。芸界でも特段に偉い人とでも親に言われでもしたのか、暫くは何も知らぬ小学生にとっての生身の少掾は、拙宅の写真でしか知らない九代目市川團十郎に並ぶほどの尊敬の対象だった。
テープのA面には、明治41年の録音の、三十歳前の津葉芽太夫時代の『三十三間堂棟由来』平太郎住家の段、その五十年後、引退直前の昭和33年の録音の、『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段もあり、芸歴(修業歴)七十年の大名人・豊竹山城少掾の語りに堪能している。聴いている時に、現代演劇の専門書店であるゴルドーニを初めて訪れる人は、古典芸能の専門書店かと訝ったりしている。モーツァルトの交響曲第四十番の収録されたSP盤を、それこそ擦りきれてしまうほどに聴いた小林秀雄は、『モオツァルト』を遺した。豊竹山城少掾の語りを、テープが伸びきってしまうほど聴いても何も生み出せそうに無い鈍才の私だが、聴きなれぬ義太夫を耳にしてか不審そうな新規の御客との交流を楽しんでいる。