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クラシック音楽鑑賞と贈答習慣

週に一度か二度の、そのたびに期待を裏切られ、俳優や演出の稚拙さばかりか、品格や矜持の無さまで透けてしまう、水準にない演劇の鑑賞で、身に付いてしまった穢れを振り払うための、月に一度有るか無きかのクラシック音楽鑑賞は欠かせない。その音楽会選び、チケットの購入には手間を掛けている。先日も、或るピアニストの、サントリーホールでの10月のリサイタルの優先予約が迫り、聴いたことのない彼の評価を知ろうと、GOLDONIのご常連で、年に数度はヨーロッパにオペラやオーケストラを聴くためにお出掛けの内山崇氏にメイルをした。その日の夜にはメイルで彼のエピソードなどをお教え戴き、翌日には速達郵便で、スクラップされている関連の音楽雑誌の記事などを送って戴いた。
毎月6桁に届く、私にとっては大きな額の赤字を積みながらの書店運営で、それも乏しい生活費から捻出する一万円前後のチケット購入だが、年長者をお煩わせしたりの検討作業、年に一度か二度の観劇や小旅行の計画にも胸弾ませる、真っ当な生活者のそれのようで、気に入っている。
九十年代の数年、大手の新劇団や劇場の同世代や若手の演劇製作者と、私や家の者が作る手料理を頬張りながら、事務所や拙宅で勉強会を開いていた。そんなことを覚えていてか、公演に招待して戴くこともある。何が災いしてか若い時分から、友人は少ないが知り合いは多いと言われること度々で、交流下手の接待好き、ホストひとりで4、50人規模のパーティもしてしまうほどの人好き。ビジネス・損得抜きで、生来のお節介がさせるのか、知恵を授けたりの機会も多く、そんなことの礼にか、公演に誘って戴くことも多い。年に多くても7、80回程の観劇のうちで、チケットを購うことは月に二度有るかどうかで、大半は招待状、無償で観劇させてもらっている。
そんな折は、心ばかりの(心配りをしているつもりでもあるが)季節の果物や菓子などを手土産にしたり、観劇の後日に送っている。そんな贈答品選びに、出費の嵩むGOLDONIの運営を案じる親族や親友から恵んでもらったり、安く頒けてもらったりのプリペイドカードや商品券を持って、週に一度は、日本橋や銀座の百貨店に出掛けている。長らく、中元、歳暮など欠礼している私でも、贈答文化の中で暮らしているなとつくづく思うが、これはまた別の話だ。
手土産を持っての観劇、ただ、借りを作ることが嫌いなだけでなく、生来の潔癖さが、ということでもないが、只見をしている自分が、チケットを購入して観劇する一般の観客に後ろめたく、ましてや、税金が投入されている公共劇場・ホールや、国の助成金を得ている劇団などの公演を、無償で見せてもらっていることに、内心忸怩たるものがあるから、せめてその気分から逃れたい、誤魔化したい、というまったく自分本意の行為、とも言える。
いつものフレーズでお生憎様、新聞の演劇賞の審査委員だからと、上演劇場・団体に招待を強要して恥じない「文化人」、劇団四季は招待状を寄越さないと何のつもりか自著に書く天晴れな「評論家」、大学の教え子なのか若い娘を伴い、この者のチケットまで招待扱いを強いる、同じ新聞賞の審査委員などを兼ねる「大学教師」などは論外だが、自腹を切らずに鑑賞し、あまつさえ批評もしようと言う厚かましい批評家気取りのように、無論手ぶらで来場、招待観劇の返事もせずに現われたり、遅刻しても平然、席が悪いと文句を言い、終演後には、飲食の接待は当たり前の、彼らの日常と意識。決してマネの出来ない薄汚さは、今の演劇やその製作手法に相応しいもの。
やはり、心ばかりの手土産持参、クラシック音楽鑑賞同様に私の矜持の為にも必要な、贈答習慣なのかも知れない。