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「閲覧用書棚の本」其の十。『九代目市川團十郎』(参)

今日9月13日は、九代目市川団十郎の正忌である。GOLDONIの開業5周年の記念日でもある。
石の上にも三年との譬えもあるが、東京の一等地、世界一の書店街の一角での5年に亘る書店運営で、経済的には痛手を負ったが、いまどき流行らない自己犠牲的な演劇の啓蒙を、いささかの私心も無く、個人の営為としてよくやり抜くことが出来たものだと、閉店を目前にした今、すこしは誇るような気分でいる。そのくらいの自負は許されるだろうと思っている。(この辺りのことは6月19日の『提言と諌言』<閉店まで三ヶ月を切った『GOLDONI』> に書いたので、ご笑読を願う。)
九代目の祥月命日を6回連続してGOLDONIで過ごすことができた。三升の五十年忌に当たる来年の2月1日を、そして来年のこの日を、どこでどんなふうに迎えるのか、それはまだわからない。

団十郎の死からその葬儀までを、喪主であった三升は描いている。    

「明治三十六年二月十八日に五代目菊五郎が世を去り、その華やかな葬儀の列は築地の家の前に暫くとどまり、そして本所の菩提所大雲寺へ向つた。私は父の代りに寺島家の親族と共に徒歩で送つたのであつた。此の日父は亡き親友に名残を惜しむため、門前にて翠扇に柄香爐を持たせ、家族一同と共に禮装して霊柩を迎へ、懇ろに焼香して見送つたが、父は感慨無量の面持で家に入り、母をはじめ皆を顧み「おれが死んだら、棺脇には升蔵、新十郎、染五郎、栗三郎、團五郎、幸升が附くように……ほかにも門弟はあるが、この六人は皆子飼からの弟子だから……」と言つた。 
(中略)九月十二日、この朝は少しく小康を保ち、顔を洗ひ口を漱ぎ、手を浄めて「神殿の方へ向けてくれ」といふ。家人の手をかりて神殿に向き直ると恭しく禮拝して、法華経の自我経を誦していたが、それがすむと全く口を利かなくなつてしまひ、翌十三日の午後三時頃危篤に陥り、同四十五分眠るが如き大往生を遂げた。
(中略)遺骸の茅ヶ崎を去る十五日には、葬列は村を一巡して、土地の人々に別れを告げ貨物列車を清掃してこれに安置され、附添として私が従ひ、絶えず香をたき、他に二等車一輌に家族をはじめ關係者達が従ひ、その夜の中に新橋へ着くとホームは涙を以て迎へられる人で満たされてゐた。既に準備の成つてゐる築地の本宅に父の遺骸は迎へられ、廣間へ安置されると共に神式によつて二十日葬儀が營まれることになつた。
(中略)その日は蕭々たる秋雨の音なく降りそそぎ、一入哀愁を深めた、葬列は二十餘町に及び、先頭が虎の門に達してゐるのに、殿りはまだ築地の家を出きらぬ有様で、各方面からの眞榊が長蛇の列を造つた譯で、その當時一時眞榊が品切れになり相場もために狂つたといふ程であつた。
葬列は築地の家から歌舞伎座の前を通り、ここで關係者の焼香を受け、虎の門を経て赤坂通りを青山斎場に向つたのであるが、會葬者は劇界は申すに及ばず、あらゆる方面の名流を網羅した。
(中略)私は喪主として烏帽子をかむり杖を携えて棺に従つたが、此の烏帽子と杖は棺に載せて共に歛めた。謚名は「玉垣道守彦霊」。かくて父の霊は青山の塋城に眠に就いたのである。」(「父の終焉」より)