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「閲覧用書棚の本」其の十三。『加藤道夫全集』(弐)

本著の年譜を参考に、昭和20年の敗戦時までの加藤道夫の軌跡を追う。
彼は大正7年10月17日に福岡・戸畑で生れ、父・武夫の東京帝国大学理学部教授転任により3歳の時に上京、世田谷区上馬、のちに同区若林の旧北原白秋邸の洋館に移り住む。府立五中(現・都立小石川高校)から昭和12年、19歳で慶應義塾大学予科入学。昭和15年、英吉利文学科に進み、仏蘭西演劇研究会を作り、学友・芥川比呂志の演出で、ヴィルドラック『商船テナシティ』(フランス語上演)に出演。翌16年4月、芥川、鳴海四郎、原田義人、鬼頭哲人などと「新演劇研究会」を結成する。尚、この第2巻には、「新演劇研究會當番日誌」という、オリジナルは分厚い表紙の横書きの事務用帳簿2冊に書かれた当時の会の日誌が掲載されている。その中のある日には、
「告知(特に丸ノ内、銀座、田村町、霞ヶ関方面に勤務する諸氏へ) 當分の中晴天の日有志は正午頃より一時頃まで日比谷公園内附近を逍遥せよ。然らば必ずや幾人かの會員に相會ふを得ん。日輪の下樹木艸花に圍まれて互ひの顔に接するの時は、我々に新しき發見をもたらす事必然なり。」
と、鳴海四郎(弘)が書き記していたりで、面白い。この日誌には、新演劇研究会の会員16名が登場する。俳優・演出家の芥川比呂志は昭和56年10月に、東大教養学部教授でドイツ文学専攻の原田義人は昭和35年に、慶應法学部助教授でフランス語を教えていた鬼頭哲人は昭和45年に亡くなった。そして先の翻訳家の鳴海四郎は、昨年10月7日、87歳で亡くなった。加藤の妻であった女優の加藤治子さんはご健在である。
加藤は大学院に進み、陸軍省通訳官に任官。19年にマニラ、ニューギニアへ赴任。「以降終戦まで、全く無為にして記すべきことなし。人間喪失。マラリアと栄養失調にて死に瀕す。」と加藤の自筆年譜にある。赴任前に執筆した戯曲「なよたけ」の生原稿は、岸田國士、川口一郎、岩田豊雄らに回覧されていた。
「そして、「なよたけ」だけが、遂に、残った。それを、文学座で、一度、舞台に、かけたいのは、前からの懸案で、演出も、私が受持とうと思っていた。いよいよ、今年の秋に、それを実現しようとなって、私は自分で演出の都合がつかぬと知った時、躊躇なく、「芥川君、君頼む」と、会議の席でいった。芥川君に最初の演出をさせてみたい気は、前からあったが、それよりも、私はこれを一種の弔合戦と見、故人のために親友の出馬を望んだのである。」と、岩田豊雄は、昭和30年の文学座「なよたけ」公演のパンフレットに書いている。
さて、今回は早川書房の現代演劇選書の第7巻として、加藤の死の直前、昭和28年11月に刊行された、『ジャン・ジロゥドゥの世界』の一部分を紹介する。

「事実、ジロゥドゥの劇には腐肉の臭いは全くしない。彼は初めから、演劇の実人生に勝る美点を知っていた。だから、彼は先ず、一切の日常的な自然主義的要素を自分の劇から閉め出して、演劇のヴィジオンを本質的な美意識圏の中に解放したのである。その為、彼の劇に登場する人物はギリシャの勇士であり、ゲルマンの騎士であ
り、更に水妖や、美しい、極めて人間的な堅信のニンフ達であった。そう言う大胆な人物や場所の設定を通じて、ジロゥドゥは本質的に演劇のヴィジオンを変革したのである。ジロゥドゥの詩韻の絃は既にしてこのような非凡な「舞台幻想」の世界に緊密に張られるのである。従って、開幕の第一語から、言葉は全的な音楽的責任を負わさ
れることは当然である。彼の劇的文体の見事な《ひびかい》は、詩韻の絃がその深い《拡ごり》にこだまする音楽にも似ている。
更に彼は、非凡な進行法、知的な展開法を駆使して、観客を最も演劇的な選抜きの瞬間だけに集中させた。実際、『オンディ?ヌ』の侍従の言葉に俟つまでもなく、劇がその現実時間にだらだらと追従して行ったのでは、それこそ退屈極まりないものになろう。時間の一致を無視するジロゥドゥの劇は、従って、稠密な演劇的モメントの連続に依る極めて演劇的な絶対時間をかたちづくる。それ故に、彼の劇は、実に充実した演劇的活気に充ちている。開幕と同時に、人々は純粋な演劇的体験の中に放心し、現実時間とは全く別な時間の進展を意識するのである。
空間の場合も同様で、彼は自由奔放に場所の一致を無視し、現実界に次元の異るinvisibleな世界、natureの世界、幻想の世界、夢の世界をオーヴァラップして行き、その演劇的処理は誠に見事と言う他ない。「時間」と「空間」を自由に飛躍する新しい知的な展開法に依って、ジロゥドゥは、写実主義に閉されていた近代劇の世界に、本質的な演劇の魅力の鉱脈を探りあてたのであった。
更にジロゥドゥの戯曲を通読して我々の発見するもうひとつの貴重な宝は、彼の人生に対する深い理解であり、人間の宿命に対する寛く大きな愛情であろう。ジロゥドゥ程、形而下的人間臭を持たず、而も極めて高い人間的な感動を与える作家を僕は他には知らない。彼のヒューマニズムこそは、その意味では、最も高度に高められた人類への愛の表白でなくて何であろう。」