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「閲覧用書棚の本」其の十三。『加藤道夫全集』(参)

加藤道夫の古典芸能に対しての造詣・関心がどのようなものかに興味があり、今回はその目的もあってこの全集を再読した。そこから選んだ三つの文章を紹介する。
最初は、「覚書断片」と記された未発表ノートにある、「『なよたけ』に就いて。」である。

「あの芝居(『なよたけ』)の後半を舞台にのせると云ふことは、厳密な意味で、作者の経験した内的ヴィジオンの世界に迄観客を惹き入れて行かなければ、全く無駄なことですから。観客の立場として、僕は世阿彌の幾つかの芝居で、それを経験致しました。『能』のコオラスは、恐らく希臘劇のそれよりも、遥かに素晴しいものだと思ひます。(但し、數多い能の曲目の中で秀れた作品はほんとに數へる程しかない様です。)
『能』の演劇様式は、それが固定したコンヴァンシオンになり了へた時、作者の自由を拘束する<公式>になり了へた時、……明らかに堕落致しました。Correspondenceのないエコオ……これ程、退屈で、つまらぬものはまたとありません。
(僕はつまらぬ『能』に接して、幾たびとなく坐を立つたことがありました。)」

次は、昭和23年9月号の『日本演劇』に載った「文五郎讃」である。

「「色模様文五郎好み」。吉田文五郎師が登場する。筆者が師の名技に接するのは六年振りだ。彼は齢既に八十を数える老境である。高僧の如き風貌、翁はおごることも、たかぶることも知らない。今、関寺の小町が彼の手の中で生きている。私は涙がこみ上げた。このひとは永い一生を人形と共に生きて来た。唯ひたすらに人形を生か
すと言う無形にして高貴なるわざに一生を捧げ続けて来た。……徒らに衒気と傲慢と偏見に真実を見失っている人々よ! このひとりの翁の前に慙愧するがいい!<芸術>とは斯う言うものなのだ。ひたすらの刻苦と精進。彼の精神は今輝かしくも「わざ」を克服している。之は決して錯覚ではない。事実、師の人形は、他の何れの人形達よりも鮮かに、見事に私の眼の前に生きているのだから。……
 民主主義の時代だろうと、共産主義の時代だろうと、此の厳しい刻苦と精進の「芸道」を否定してしまえば、歌舞伎も能も人形浄瑠璃も死滅して行く他はない。此等の芸術は、最早、「時代」とは何の関係もないものなのだから。……
 語り手、我が浄瑠璃界の至宝、豊竹山城少掾の見事な口演の節奏に乗った文五郎師の政岡(御殿の場)は第一回の演目中、圧巻であった。」

最後は、『三田文学』の昭和24年8月号に載せた「怒りと夢と幻」である。

「怒りが僕をあの様な世界に誘い込んだのだと思っている。やがて自分にも襲いかかるであろう運命の宣告を、半ば諦めた様に、僕は待っていた。それまでの日々を、僕は能楽堂や図書館の中で過した。それ以外に僕は抑え難い怒りをまぎらわす方法を知らなかったから。怒りが激しかったればこそ、僕はあの「能」の夢と幻の世界を理解することが出来たのだと思っている。特に死んだ万三郎師の舞は忘れられない。消えざる幻の様に、今でも鮮かに僕の脳裡に蘇って来る。名人は「恋重荷」を舞っていた。あのひとも定めし激しい怒りの中に夢と幻を追っていたことであろう。……
  重荷なりともおふまでの、重荷なりともおふまでの、恋の持夫になろうよ。
世阿弥の実現した幻の世界の底には言い難い激しい、深い怒りがひそんでいる。人の世の現実に対する激しい怒りこそ、深い幻の世界を生むものだ。僕をあの様に強く惹きつけたのは他ならぬ世阿弥自身の怒りであった。
(中略)演劇にしてもそうである。劇作家が外的な現実に唯唯として隷属してしまったら、真の夢や幻は生れ出る筈はない。舞台の自由なヴィジオンの羽搏きは喪われて行くであろう。
怒りも、愚衆のそれに似た生々しい言辞にこめられるだけならば、そんなものはむしろ醜いものだ。芸術の在るべき姿とは凡そ縁遠い。そんな凡俗な怒りなどには興味も湧かない。此の現実を見よ、などと言う様な看板は芸術を見せる場所にはない筈である。
(中略)芸術からその様な怒りを取り除いてしまったら、凡そ何と無意味なものか。その様な時、人間の智慧なぞ何と言う無価値なものか。僕は彼等の怒りを知っていればこそ、彼等の夢や幻をも信じているのである。」

己は安全なところに身を置きながら、「非戦の会」などに名を連ねたり、国家権力の庇護を無自覚に受け、行政の取って付けたような、予算ばら撒き型の文化政策に便乗、補助金漬け、麻薬中毒患者同様に思考停止してしまった現代演劇の権威や中堅、若手の劇作家や演出家、製作団体に、戦時下に加藤が抱えたであろう「怒り」、そして「夢」や「幻」は、露ほども理解出来まい。それは万三郎の、あるいは世阿弥の怒りも、同様に芸能人として持て囃される現代の能楽師には理解不能であろう。
昭和28年12月22日に自裁した加藤道夫は、古典芸能が、そして現代演劇が、「外的な現実に隷属してしまった」時代を長らえずに済んだ、と言えば言い過ぎだろうか。