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自由劇場百年の日に

 この自由劇場の組織竝に興行方針に就て左團次は次のやうに語つている。
 「自由劇場は常設の建物は無く試演の舞薹随時随所に定めると云ふ規則で、すべてを會員組織の團體にして會員の總數を興行資本主なり顴客なりに頼んで、新時代に適當なる脚本を忠實に演じて、新規に興る脚本の爲に、又新規に興る劇場の爲に、一筋の道を開かうと云ふ目的なのですから、どなたでも此趣旨に御賛成の方は、既定の會費を納めて下されば、會員になる事が出來る譯で、會員となれば別に見物料なしでお見せ申しますのですが、會員外の方には見物を許さないと云ふ定めにしてあります。猶自由劇場の第一の目的とする新らしい見物を作ると云ふ事に付ては多少腦のある興行人は既に考へては居るのですけれども、如何にせん商賣として興行する以上は、資本に對する利益を考へますから、歌舞伎座の田村成義君のお話にもあつた通り、金の猫と銀の猫とは値打の違う事は知つてゐても、只貰つた金でも無ければ、みすみす一般の見物に受けられない事と、みすみす不入なのとが見え透て居る事では、たとへ日本の芝居の位置が上ると云ふいい事にしても、儲けやうと思つて金を出して居る資本主に對して、興行師として頼まれた位置のものには出來ないと云はれて居ますが、是は全く無理のない所ですが、さう云つて居てはいつまでも新らしい脚本を紹介する事が出來ない譯ですから、そこで同志の人を資本主と見物とを兼ねた會員組織にして、聊か日本演劇界の爲に貢献してみたいと云ふ考へなのです。」

 この組織は、左團次が洋行中見聞して來たイギリスのステヱジ・ソサイエテイや、ドイツのフライエ・ビユウネや、フランスのテアトル・リイブル等に其範をとつた事は云ふ迄もないが、同時に其頃我國に萌芽を發した許りの産業組合竝に其根源をなす欧洲の協同組合の形式に甚だ似通ふ點の多い事は見遁せぬ事實なのである。
 この會員組織の演劇に就ては、前にも述べた如く、坪内逍遥の文藝協会も亦、其軌を一にするものであつたが、自由劇場にせよ、文藝協会にせよ、またフランスのアントアヌ一派ですら認識をしてゐなかつた残念なことは、それが藝術上の新しい運動であるといふ點にのみ心を奪われ、その組織こそは全世界に大變動を與へた協同組合組織の範疇に属するものであると云ふ事實を見落としてゐた事である。
 明治四十二年と云へば、我國の産業組合法に劃期的な大改正が加へられて、地方聯合會制度や中央金庫が認められ、購買組合が配給の他に加工をなす事を認められ、信用組合の豫約加入制度も許可をされた年である。
 若し此頃、協同組合運動者が演劇文化に對する正しい認識を持ち、又左團次、小山内薫等が協同組合運動の經濟史上の意義を認識してゐたならば、恐らく今日の日本劇界は根底から其内容を異にしてゐたであらうが、不幸にして此目的を同じうする两者が相識る機會がなかつた爲に、我國の自由劇場運動は單なる藝術的革新運動に終始してしまつたのであつた。
 然しながら、よしそれが單なる藝術上の改革に終つたにもせよ、日本の演劇史上に特筆大書すべき偉大な功績を殘したと云ふ點で、我々は自由劇場の名を永遠に忘れてはならないのである。
(「『市川左團次』松居桃楼著 1942年刊」より)

 自由劇場第一回の試演『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』(作:イプセン、翻驛:森鴎外、会場:有楽座)が行われたのは、1909年11月27日。百年前のきょうであった。