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八世市川団蔵について(其の五) <昭和四十七年八月執筆>

  折口信夫門下の演劇評論家・戸板康二は、団蔵の死より五年ほど経った昭和四十六年九月、「小説団蔵入水」を発表した。(「小説現代」1971年10月号)
「人間残酷物語・歌舞伎界の内幕」という副題のついたこの作品は、作家・網野菊の団蔵の死を扱った秀作「一期一会」(「群像」1966年11月号)を意識して書かれたものではあろうが、「一期一会」と比べものにならないほどの凡作である。この作品は、ドキュメント風な小説であるが、その中には、人間残酷物語と銘打つだけの人間や残酷さは描かれていない。まして、歌舞伎の内幕など、全く明らかにされていないのである。この「小説団蔵入水」を、多才である戸板康二の、大衆小説作家としての作品としてみるならば、彼は次の点から批判されるべきである。それは、同様に演劇評論家の尾崎宏次が、団蔵の死後いちはやく、「かぶきの最長老をそこまで追いつめた、かぶきの今の制度そのものに問題がある」と受けとめた「団蔵の死」を、自身の大衆小説のネタにしたことである。(続く)