演劇評論家であり、また今日の歌舞伎演出の第一人者である利倉幸一は、団蔵の自殺について次のように述べている。
封建制の典型のように見られている歌舞伎に対して、この団蔵の死を、それへの一つの抵抗としてジャーナリズムの一部がとりあげたのは、例によって例の如しであった。団蔵にそういう抵抗が全然なかったとは言わないが、それは直ちにかぶきの世界の悪弊に結びつけるのは少し性急な意見のようにぼくは思う。(中略)役者の家に役者の子として、それも抜き差しならぬ名家に生を享けたのが、団蔵の不幸だったのだ。実はその不幸さえも、団蔵はぼくたちが考えているよりも、深い受けとめようをしていなかったのではないかと、ぼくは不遜にも考える。
(『ある歌舞伎俳優の自殺』『文藝春秋』1966年8月号)
名家の子として生を享けたという宿命を誰よりも強く自覚していたのは、言うまでもなく団蔵である。この事実を、利倉は全く識らなかったのだろうか。いや、たぶん、「くすんだ舞台」の「役者らしくない役者」(利倉幸一)である年寄りのことなど、識ろうとしなかったのであろう。
私は、「団蔵の不幸」に、このような演出家のもとで舞台を勤めなければならなかった、ということをも含めなければならないと思う。(続く)