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推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年7月》

『後藤田正晴ー異色官僚政治家の軌跡』 
保坂正康著 文藝春秋社 1993年刊

平成四年十二月十二日、第二次宮沢内閣に後藤田は法相として入閣した。宮沢は後藤田を入閣させることで、内閣に重みを与えようとしたのだといわれた。後藤田もまたそれを理解していた。と同時に、この内閣の手で、自らが描いてきた政治改革を実行させたかったのだ。後藤田自身、「お国への最後の御奉公」と周囲に漏らした。
 後藤田は法務大臣の執務室で法務省の幹部に、検察行政をもっと国民に知ってもらうためにPRせよ、法務と検察行政の信頼を回復せよと命じ、さらに検察の人事の刷新をもにおわせた。(中略)
 法務省での訓示では、国民の検察批判には耳を傾けて、改めるべきところは改めて法秩序の信頼を維持すべきである、と説いた。平成五年にはいると、後藤田は、「実務肌の者が遠ざけられているので正したほうがいい」という方針で、検察人事に手をつけた。ロッキード事件で田中逮捕を進めた吉永祐介大阪高等検察検事長を東京高等検察検事長に呼び戻したりもした。(中略)竹下内閣時代には、法務省の幹部は経世会の有力議員に近づいて、懸案事項の政治的解決をはかってきた。そのため法務、検察の人事はこの十年ほど捜査重視より政治重視になっていた。それは法務行政と政治家人脈にくわしい法務検察官僚が幅をきかすという意味でもあった。(中略) これまでの検察人事は、ほとんど法務省の大臣官房や人事課が行なっていて、法務大臣が口を挟むことはなかった。経世会系の大臣はそのことで法務省内の閉鎖的な空気をつくっていたのである。
 後藤田が初の訓示で世論に耳を傾けよ、といったのは、それを打破するという意味であった。後藤田は捜査畑で地方に出ている検事正を次々に東京に戻した。中央で彼らに存分に力を発揮させようとしたのだ。吉永を補佐する東京地検検事正には北島敬介、東京地検特捜部長には宗像紀夫という布陣を敷いた。佐川事件を充分に摘発できなかった弱体さを克服して、新たな汚職摘発を行なうとの意思があるように思えた。
 平成五年三月六日、東京地検は金丸信を脱税の容疑で逮捕した。後藤田の人事で動いた検事たちの働きであった。これは法務大臣の諒解もあってのことだったが、後藤田はこの間にどのような決断をしたかは、口にすることはない。たとえかつての僚友であろうと、法にふれ、政治の道義を崩す者は容赦しないとの後藤田の強い意気込みが窺えた。この逮捕の報告を事前に受けたときに、国会内の一室で誰も寄せつけず、一人で考え込むような姿勢で椅子に座っていたという。政治改革という大義名分、この時代を何としても変革するのだという強い意志と自らの心情との葛藤を、胸の内におさえこんでいたのかもしれない。その後はゼネコン汚職の摘発が続き、仙台市長、茨城県知事が逮捕された。(「第七章 政治改革とその時代」より)