『照明家(あかりや)人生』ー劇団四季から世界へ 吉井澄雄著
早川書房 2018年刊
通し稽古を見てからデザイン会議
一般に演劇公演では、稽古が始まる前か、その初期の段階で最初のスタッフ会議が開かれる。しかし「タンタロス」の場合は、初日十ヵ月前から稽古がスタートしていたので、芸術監督ドノヴァンから、通し稽古を見てからデザイン会議をしようという提案があり、四月の一週間、全スタッフに招集がかかった。舞台装置を中心に、照明、衣裳、音楽、音響等すべてのスタッフワークについて演出家と綿密な打ち合わせの後、それぞれの国へ戻って仕事をしてもよいし、デンバーに残って仕事をしても、どちらでもよいとのことだった。結局、台本の大幅な変更があったために、デザイン会議は五月に延期され、通し稽古も第一部だけになり、残りの二部、三部の通し稽古を見ることができる六月に、あらためて美術と照明中心のデザイン会議を開くことにしたのだが、美術はアテネ、音楽はロンドン、振付はニューヨーク、照明は東京だからDCPA(デンバー・センター・フォー・ザ・パフォーミングアーツ=引用者注)の支出は旅費だけでも大変なものとなる。
美術家ディオニシス・フォトポウロスが作った模型舞台をかこんでのデザイン会議は、昼飯も簡単な弁当というかなりハードなものだったが、DCTC(デンバー・センター・シアター・カンパニー=引用者注)は事務室の一隅に私の仕事部屋を用意してくれた。デスク、製図台、インターネット可能なデスクトップコンピューター、削ってある鉛筆や消しゴムまで。照明デザイナーが劇場の中に自分の部屋を持てたのは、おそらく空前絶後のことだろう。
プロダクションノート
DCTCのプロダクションノートは、プロダクション・ディレクター、バーバラ・セラーズが、稽古に出席している時は自分自身で、出席していない時は終了後に彼女が、舞台監督、演出助手、小道具係、衣裳係等から取材をして作り、全スタッフに配るペーパーである。ここには稽古中に起こったあらゆる問題、例えば階段の段数とその高さはどのくらいにするかという舞台装置の細部から、衣裳の色や寸法、小道具の作りや大きさ、音楽の音色からテンポ、照明の効果やキッカケ、音響効果の音量や雰囲気等々、演出家の口から出た言葉や発想したアイディア、解決すべき技術的な問題が簡潔に、かつ余さず書かれている。
このプロダクションノートは、稽古初日からテクニカルリハーサルに入る前日まで、私のデスク上の巨大なファイルに毎日綴じ込まれた。私が東京に居るときはメールで送られてくる。これは単なる稽古場で起こった出来事の記録ではなく、芝居作りの過程において、スタッフ・技術者全員が共有すべき、演劇創造のための欠くべからざる情報なのだ。プロダクションノートは誰もが見るべき義務を負っているので、とかくありがちな、連絡がなかったとか、聞いていないというような意思の不疏通が避けられる。ここではすべての問題を記録すればよいのではなく、情報の取捨選択が何より重要なものとなる。制作部長バーバラ・セラーズの演劇についての見識と才能、他人任せにしないで自分自身で仕事をする誠実さが、プロダクションノートの有効性を保証していた。
こうしたシステムを整備したからといって、すばらしい演劇ができあがる保証はどこにもないが、大人数のスタッフ・キャストが関係する演劇やオペラ作りの場合は、我が国でも創作システムの整備が考えられてもよいのではないだろうか。
舞台装置の木工、金工、樹脂彫塑の各製作部門、小道具、衣裳、かつら、メークアップなどの各セクション、照明や音響等の技術部門、さらに制作、広報、切符セールス、総務等の事務部門が、劇場と共に存在していることの重要性とすばらしさは、残念ながら我が国においては実現していない。さらに大学における多面的な演劇教育の重要性を痛感した。DCTCの幹部、すなわち芸術監督、制作部長、美術部長らはいずれもUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)演劇科の出身であり、共通の言語をもつことによるアンサンブルの良さと強さを感じさせられたのである。 ([第一部*照明家人生 第十四章 一年がかりの仕事ーー「タンタロス」]より)